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外国へ、そして世界旅行

 
   

 エスケイジャパンでの面接の時「3年で辞めます!」と言っていたんです。当時、起業したいということと世界旅行へ行きたいという夢がありました。そしてエスケイジャパンへ入社してから3年が経ち退社しました。起業してしまうと旅行に行けないので先に旅行に行き、そのあと起業しようと思いました。世界旅行へ行く前に英語をしゃべれないといけないと思い、まずは英語圏内のアメリカへ行きました!
 アメリカではいろいろな経験をしました。一番印象に残っていることはレストランでのアルバイトですね。ウェイターとして働いていて、最終的にヘッドウェイターになるのですが、ある時忙しくて、お客様のカードで違う人の支払いをしてしまいました。その時「今夜の食事は悪夢だった」と言われてしまったんです。その時は本当にショックでした。たどたどしい英語でしゃべれない分いろんな人に助けてもらったり、いろんな人に応援してもらっていたのに、小さなミスでお客様へ迷惑をかけてしまったんだと思うと、応援してくれている全ての人に申し訳なく思ってしまいました。そしてそんな思いは二度としたくないと思い一つ一つのことをきっちりとやっていきました。
 次第に英語もしゃべれるようになり、お金もある程度たまってきたのでアメリカから日本に帰ろうと思いました。日本に帰る前に自分へのご褒美として夢であった世界旅行をしようと思い、アメリカから世界を一周して日本へ帰ります。

 
   

何もない自分、そして

 
   

ラーメン屋や和食、おにぎり屋など、ロサンゼルスへ進出して、商売をするためにいろんな事を考えました。しかし、体験はしてみるものの「自分のやりたいことはこれじゃない!」と感じてしまい、すぐに辞めてしまうのです。その時「自分はなんでも出来ると思っていたけど、何にもないんだ」と思いました。いろんなやりたいことがあって、これというものがなかったんです。
 そして路頭に迷っている時に、エスケイジャパンの社長から事業の紹介を受けました。それは、店先にUFOキャッチャーの機械をおいてもらう事業でした。営業力には自信があったので「これでなんとかやっていける!」と思い会社を立ち上げます。今思えば当時の自分は「代表取締役社長」という肩書きが欲しかっただけなのかもしれません。大学に入ったときと同じように自分に自信がなく何か自分を大きく見せる為の衣が欲しかっただけなのかもしれません。

 
   

ポップコーンパパとの出会い

 
   

実際に事業を始めるものの、全く軌道に乗りません。休みなく毎日営業をしたり、機械のメンテナンスをしたり、必死になって事業を成功させようとしました。得意先の一つに「ポップコーンパパ」という二店舗を経営しているポップコーン専門店がありました。店舗のスタッフの方との交流もあり、当時ポップコーンパパ担当だったSさんという方とも懇意にして頂きました。そんなあるとき、「ポップコーンパパ」の事業を引き継がないかという話を頂きました。その話を他の経営者仲間にしてみると、「騙されてるんちゃうか?」と言われました。それほどいい話であったのですが、当時は必死すぎて何もわかりませんでした(笑)何故その話を貰えたかというと必死にお客様に対して向き合っていたから誠意が伝わり、信用してもらえたんだと思います。
 私もSさんを信用していたので「やろう!」と思ってポップコーンパパを買い取り、みんなが夢を持って働けるようにという想いを込めて株式会社Dreamsを立ち上げたんです!
 ポップコーンパパを引き継ぐ前に研修としてお店に入っていたのですが、当時店長をしていた木村真由子がポップコーンの作り方を教えてくれました。そのとき「ポップコーンはデリケートなお菓子だから愛情を持って優しく優しく扱ってくださいね。」と言われました。自分の中で、“たかがポップコーン”と思っていたものがこの言葉一つで意識が変わりました。この言葉があったからこそポップコーンパパをやろうと思ったし、やり続けようと思ったんだと思います。

 
   

新たな事業展開!しかし…

 
   

 ポップコーンパパを買い取った時、全く思っていなかったのですが、実は軌道に乗っている店だったんです(笑)自分は0から1をつくることは苦手なのですが、1を2、3に発展させる力はあると思います。ポップコーンパパで自分の能力が発揮されていると感じ本当に楽しい毎日でした。そして、ポップコーンパパの業績もよく、今度はお客様と接する時間が多い居酒屋をしたいと思うようになり、株式会社やりまっせという会社を立ち上げます。やりまっせでは「もつなべ宿夢蔵」というもつ鍋屋と、「押ッ忍!夢蔵」という串焼きと串揚げの居酒屋を展開していました。
 しかし、業績もあまりよくなく、考えに考え抜いた結果、その両店舗とも閉店させてしまいます。そのとき思ったことは、経営者という立場のことでした。安易にやりたいことをやろうとしてしまって、売り上げの見込みなど深く考えずに行動に移してしまった結果、働くスタッフやお店を好きでいてくれた方々、取引先、仕入れ先の方々に迷惑をかけてしまい、本当に申し訳なく思ってとても苦しかったのを覚えています。

 
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