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自信をへし折られた新卒時代

 
   

 なにわ銀行の勤務から始まります。
小さな頃から負けず嫌いで他人と自分を比べて「人より勝つ。人より前に出る」ことが中心軸だった自分にとって、同期入社の中で最初に営業マンになることが大きなステータスだと考えていました。だから何が何でも一番になる!と意気込んでおり、自信家でもあった私は、自分が一番だとも思っていました。
 しかし、結果は20名近い同期入社の最後から2番目。当時は鼻を折られた感じでしたね。銀行を辞めてからそのときの上司に聞いたんですが、すぐに営業の現場に入れるより、幅広い知識と話す力を付けてからの方が今後成長するだろうということで、営業へはしばらく転属させない方向だったらしいです。確かにやっと営業職に就いたときは嬉しかったですし、結果も残せました。 このときに上司が基本的な知識をたたきこんでくれたおかげで今の仕事へ生かすことができているんだと思います。

 晴れて営業マンになり、先輩からの引き継ぎも終わらせ、一人で営業に行くようになって3・4日たったとき、なんとひったくりくりにあったんです・・・。お客様のデータの入ったカバンを…そのときは首だと思いました。結局なんとかなったんですけどそれから半年は生きた心地がしなかったです。いつ辞めさせられるんだろうって(笑)辞めさせられない為にトップ営業マンにならないといけないと思っていました。
そして、その意識のおかげでトップ営業マンになれたんです。

 しかし、ここでひとつの大きな出来事があります。
 なんと、当時では潰れないはずの銀行が潰れたんです。 なにわ銀行が倒産してなみはや銀行、そこも吸収されて近畿銀行に。結果的に銀行に残ることはできましたが、この時にいつまでも安定志向だったら世間からはおいていかれると感じました。

 
   

大きなターニングポイント

 
   

 トップ営業マンになり、お金の融資が確実に人を幸せにすると思っていました。
 当時のお客様で店舗拡大を考えているお弁当屋さんがいました。今なら当たり前に理解できるのですが、拡大しているからと言って成長しているというわけではなく、そのお弁当屋さんも資金繰りに困って出店を繰り返さざるを得なくなっていたのです。3店舗目を出し、4・5店舗目の融資の話をしている時、自分の中で止めておかなければ破産すると薄々感じていました。しかし、自分の業績ノルマと「融資が人を幸せにする」という考えにより、融資することを決めました。
結果、そのお弁当屋さんは破産してしまったんです。
 その時、「お金を貸す前に何かしてあげられることがあったんじゃないか」と思いました。 その経験の後、赤字が拡大していくようなお客様と話をしているときも、「いったん立ち止まって考えてください」とアドバイスできない、そんな事で本当にお客様の為になっているのか?と言う疑問と、銀行マンとして成績を上げることとの葛藤を感じるようになりました。

そして葛藤の末、退職を決め、客観的に判断できる仕事として、税理士事務所に転職しました。

 
   

死ぬ気でやった金融コンサルタント

 
   

 転職先では会計コンサルタントとして、たくさんの会社に対してアドバイスをしていきました。
 会計コンサルタントの仕事の一つに、クライアントが銀行からお金を借りるアドバイスと言う事があります。それは言ってみれば、銀行との戦いのようなもので、元銀行マンの私は重宝されていましたね(笑)
その事務所で2年間死ぬ気で働きました。朝6時に出社して0時に帰るそんな生活でした。それでもやりがいがあり、お客様の為にと全く辛くはなかったんです。
 順風満帆な日々を過ごしていましたが、仕事においての会社との価値観の違いを感じだし退職することを決めました。

 
   

起業、そしてボランティア・社会貢献へ

 
   

 会社を退職した後は前の会社の上司と数人の部下を率い、「エムズファクトリー」という会計コンサル会社を設立しました。財務を切り口として経営判断をする会社で基本的には今までのキャリアの集大成のような仕事でした。
 そんなとき、お客様にすすめられてある一冊の本と出会いました。
それはNPO法人アジアチャイルドサポートが発行している本で、「世界にはこんなに困っている人がいるんだ」と衝撃を受けました。その勢いで実際にアジアチャイルドサポートの代表の池間さんに会いに沖縄まで行きました。
 これがきっかけで、もともとボランティアは一方的で偽善だと思いていたのですごく嫌だった私ですが、自分もできる範囲でこういう活動をしていきたいと考えるようになりました。ただボランティア活動に専念してしまうと会社的に売り上げが下がってしまうんです。当時は私が会社の中ではお客様も多く、中枢を担っていましたから。そうなってくると今度は社員全員に迷惑がかかってしまう。
 そしてこれ以上迷惑をかけるのも駄目だと思い、33歳で今のプレジャーサポートの前身カルマを立ち上げたんです。実際に立ち上げたものの、自分が本当に何をしたいのか悩みに悩んでいました。そして、その答えを出すために、断食を6回したんです。水だけで1週間生活します。自分は何をしたいんだとかひたすら向き合い、そのときに「人を喜ばせる事がしたいんだ。心のもやもやを取ってあげたい!」そんな自分の素直な答えに気付く事ができたんです。

 
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