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バスケットボールの選手になる夢

 
   

僕は中学校のときから夢があったんです。
それは、プロのバスケット選手になること。
顧問の先生の下、僕は毎日練習をし、バスケットボール選手を目指していました!
中学一年生でレギュラーになり、中学二年生で大阪代表を目指していて夢に向かって
一歩ずつ進んでいました!

しかし、、、

急に身体を病が蝕み始めたのです。
50メートル程、歩くと足が痛くなり、それ以上は歩けなくなります。
病院に行っても原因不明と言われ、その期間が半年間も続きました。

そして検査を重ねるうちに病名が判明しました。
バージャー病(別名:ビュルガー病)といい、四肢の末梢血管に閉塞をきたす疾患で、
その結果、四肢や指趾に血液が十分供給されないためにおこる組織の低酸素症状が起こる病気でした。

医者には、「一生治らない」とも言われ、スポーツは諦めろとも言われました。

この時、今迄自分が必死に目指してきた夢が打ち砕かれ、鬱的な症状にまで陥りました。
医者の言いつけも守らず、僕は夢を諦めきれず無理してバスケットをし、入退院を繰り返していました。
そんな生活を繰り返すうちに鬱がひどくなり、、、

生きていても「仕方ない」と、自殺を計ったこともありました。

でもそんな時、友人が僕を暗闇から救い出してくれました。
入退院を繰り返す僕を沢山の友人がお見舞いに来てくれ、励ましてくれまたんです!

 
   

第二の夢、料理人

 
   

友人の支えがあり、僕はバスケットボール選手を諦める事ができました。

そして、中学三年になり今度は料理人になりたいと思ったんです!
何故料理人になりたかったかというと、単純時料理が好きだったということもありますが、
母親に「手に職をつけろ」と小さい頃から言われていたからでした。

しかし、料理人になる夢は、母親をはじめ、親戚一同から反対されます。
バージャー病は足に負担がかかるので立ち仕事は控えた方がいいんじゃないかということでした。

それでも僕は「自分のレストランを持ちたい」と思いその反対を押し切り、料理の専門学校を卒業後、
フランスに渡り8ヶ月料理の勉強をしました。

帰国後、ホテルなど様々な場所を転々としながら料理の腕を磨いていき、自分のレストランを持つという夢に向かって順調にキャリアを積んでいっていたかに思えたその時、、、

バージャー病が再発しました。

そして、レストランの夢もまた諦めざるを得なくなったのです。

       
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