私はパッケージ松浦の二代目として生まれました。
小学生低学年の頃の私は身体が弱く、協調性もなかったので、みんなとなかなか馴染めない子どもでした。
そんな私を小学校の先生は、悪いモデルとして隣接していた保育園に連れていって「この子はアホの子じゃ!みんなはこんな子みたいにならんようにしなさい」とさらし者にしたのです。
私はその時、「ぼくには生きる価値はない」と感じました。
(今だったら児童虐待でかなり問題になるでしょうね)
そんな私が、今こうして生きていられるのも、父母のお陰です。
それを聞いた父と母はすぐさま学校に駆けつけ、先生に抗議してくれました。
そして、「お前を立派な人間にする!」と私に言ってくれたのです。その時、私は「ぼくは生きててもいいんだ」と、とてもうれしくなりました。
その時の父と母の言葉が私の人生の支えになっています。
|