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“何でもできる”でも、孤独な時期

 
   

 小学校の前半がいじめられっ子でコミュニケーションを取るのが苦手でしたね。でも、小学校の後半に好きな子ができて、がんばって勉強も運動もするようになると、いじめなくなって、さらに、小学校を仕切るようになったんですよね。ただあまりにもやりすぎて、中学校は孤独な学生になってしまったんです。
 だから、中学校は孤独に自分と向き合っていろいろやっている学生でした。ただし、勉強も運動も結構できる嫌みな学生でしたね(笑)。
でも、中学3年生のときにこのままじゃダメだと思ったんです。

 
   

強い人間になろう

 
   

 高校では自分の殻に閉じこもるんじゃなくて、まずは自分の事を人に話せるような人間になろうと思って、思いついたのが彼女を作ることやったんです。
高校1年生のときに2つ上の先輩に恋をして、付き合う事になりました。そこで、今まで自分がいろいろ考えていた想いを彼女に伝えたんです。そしたら、3日後に振られましたね(笑)。
それが僕の高校時代をほぼ決定づけて、勉強と運動だけじゃダメなんだなと気付いたんです。今の日本の学生って運動と勉強ができたら、だいたいちやほやされるじゃないですか。僕も価値観として、運動と勉強ができればいいやと思っていたんです。でも、どれだけ運動と勉強ができても、自分が本当に好きな人にも振り向いてもらえない人間じゃ意味がないなと思ったんです。
 そこで、「どんな人間になればいいんだろう?」という人間学というか、人格形成についてずっと悩んでたんです。結果、「強くなろう」と思いました。軸を持ったブレない強さを持とうと思ったんです。その考えが今も生きていて、どんなに人から誹謗中傷されても、自分がやってる事は正しいんだと考えられます。もちろん、考えを改める事はありますよ。ただ他人から言われたから変えるのではなくて、最後は自分が判断して改めるんです。
いろんな事を言われます。大体は妬んだり、羨んだり、そんな気持ちから出てくる文句です。でも、その中でも本当に自分の事を思って言ってくれるアドバイスもあります。それを見分けるんです。見分ける方法はその人の行いを見たらいいんです。頭でっかちの口だけの人か実際に経験を積んできた人か見るんです。だから、僕は聞く人の話は本当に素直に聞くし、聞かない人の話は全く聞かないですね。

◆そういう判断基準と呼べるものが軸なんですね。その軸はどのように作ってこられたんですか?
 まずは本を読みましたね。三国志とか戦国時代の武将の話とか歴史の本をたくさん読みました。今、平和だから僕たちは戦う事はないけど、やっぱり生死をかけて生きている人には人間の本質が出ていて…失敗したら死ぬんですから、必死でしょ。そんな必死で生きている人からは学ぶことがたくさんありました。ま、わかりやすく言えば、僕は現代の侍になりたいと思ったんですよね(笑)。俺は平成の世にいるが、気持ちは乱世を生きるぞ!!ってね。

 
       
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