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世界を見て思ったこと

 
   

 大学1年の時は普通の大学生でしたね。でも、1年の終わりに世界を見ようと思って、3年でバイクで日本一周をして、4年で世界を見に行こうと思ったんで、それまで所属していたサークルを全部辞めて2年間、バイトに明け暮れました。
そして、3年の時に北は稚内から南は沖縄まで日本を一周しました。その旅行で気づかされたのは日本は単一民族の国じゃないってことです。地方地方で価値観が全然違っているんです。
俺は日本の事何も知らないんだな。そう痛感して、世界へ出る決心ができました。世界に出るのは休学もしないといけないし、リスクが大きかったんですが、そこで、一歩踏み出せてくれたのは小学校6年生のときに担任の先生の「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉でした。買ってでもするのかそれなら、やってみよう!と思ったんです。
 それから、カナダに留学しました。そこでアジアの他の国から来た若者と出会いました。アジアの若者ってすごく元気でバイタリティがあったんです。自分たちの歴史の事とか将来の事とか、議論を吹っかけてくるしね。単刀直入にいろんな事を投げかけてくるし、いろんな事を考えてる。なんで、こいつらこんなんやろなと分析してみると、そいつらは自分の事だけじゃなく、周りの事や国の事を真剣に考えていたんですね。当時、僕は自分のことしか考えてなかったんです。自分自身が立派な人間になるために勉強してたんです。それはそれで悪い事じゃないんだけど、その先があったんですね。その先は、自分が立派になってその力を自分自身のためだけじゃなくて、周りの友達や家族、さらには自分が所属する国のためにどうやって発揮していくのかという事です。
 そんなアジアの若者を見ていたら、10年後、20年後、日本は国として抜かれるなと感じたんです。それで危機感を感じて政治家というものを志しました。

 
   

社会人になり

 
   

 日本に帰ってきて、弁護士になって、政治家になろうと思っていたんです。でも、そううまくはいかなくて、実家のスーパーが倒産の危機を迎えたんです。帰って立て直そうとしましたが、結局、大型の資本にお客さんを取られて倒産させてしまったんです。
 自分が抗えないような状況の中で時代の波に飲まれて、家を失って、周囲の冷たい目にもさらされ、婚約も解消されてしまいました。このときが一番つらかったですね。死のうと思いましたから。でも、そんなとき友達が電話をくれて言ってくれたのが「神様はその人に乗り越えられない試練を与えないから、あなたがそれだけしんどい思いをしているということは神様に見込まれたということだから、あなたに与えられた使命は何なのか考えてみてはどうだ。」ということでした。その言葉を聞くまで、「何で俺ばっかりこんなしんどい思いをしないといけないんだろう。」とずっと「なんで?」「なんで?」やったんですが、その答えが神様に見込まれたからだったら嬉しいじゃないですか(笑)。そこで、自分は損をしているんじゃなくて、課題を与えられて、それをどうやって乗り越えていくのかという発想に切り替わったんです。すごく単純なんですけど、大事ですよね。

 
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