大阪の師匠の家では、舞踊の稽古もしていて、毎日三味線の音が耳に入ってくる様な環境でした。
そんなある日、初めて師匠がレッスンを開いている部屋をのぞき見た時に「藤娘」という舞踊をしていました。
そのエネルギッシュさが、自分の持っていた舞踊の悠々としたイベージとのギャップに驚いたのを覚えています。
そんなある時、稽古している生徒さん達が踊りを覚えられず困惑している場面に出会いました。
それまで踊ったことはなかったのですが、毎回見ていたので試しに踊ってみたんです。
すると意外にも踊ることができて“自分でも案外簡単に舞踊できるんじゃないか?”と思う様なこともありました。
実際、自分ではそれが普通だと思っていたんですが、周りは僕を見て相当驚いていたようです。
そうこうしているうちに周りから僕に対する期待が大きくなり、舞踊を舞う様々な機会を与えて貰えるようになっていったんです。
しかし実際は、自分の中では一生この芸能の世界で生きていくという覚悟はまだなく、舞踊の芸名を貰うことも全く考えていませんでした。
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