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学生時代

 
   

の学生時代って全く夢とか「将来何がしたい」とかもなくて、遊ぶ事しか考えていませんでした。 学生=勉強でも学生=バイトでもなく人それぞれの生き方があってもいいと思っていました。だから僕は遊んでいました(笑)

当時はバブルの時代だったので就職活動にはあまり困っていません。
面接に行ったらその夜は「懇親会や〜」といってご飯を食べに連れてってもらったりなど、内定も8社貰えましたらね。
でも就職活動に関しては、きちんとしていたと思いますよ。
会社に資料請求は個人で電話して担当の方に手紙を書いて、返信用の切手を用意して、資料が届いたらお礼の電話をしてというようなことが当たり前だと思っていました。
どっちが良いとかっていう訳じゃないですけど、そういうのって今の学生がやってる姿はあまり見ないような気がします。
まぁでも「何がしたい」とかはあまり考えていませんでしたけどね(笑)

 
   

自分の実力を思い知らされた社会人

 
   

そして内定を貰った会社の一つに進み、社会人になります。
その入社した会社は伊藤忠商事の系列の水産会社で、鰤(はまち)の骨を取り除いたものを売るというような加工食品の営業で入社しました。
営業で入ったものの、日が経つにつれ鰤をおろす現場の人間がいなくなっていったので現場に入るようになりました。
営業で入社したのに毎日毎日は鰤をおろしてて、だんだん鰤と鰤(ぶり)の違いはわかってきたり、水産会社の人とは仲良くなったりしていましたが「なんか楽しくないな〜」と思っていました。
それともう一つ思ったこと、思ったより自分は仕事ができないということを痛感させられました。
魚をさばくのはそんなことはないんですが、営業となると全く成績がとれなかったんですよね。
今思い返せば、営業の成績欲しさに全く提案も何もできていなかったんだと思います。
例えば、営業先のお客様が「これええなぁ」と言っても僕は「そうでしょそうでしょ」とお客様に合わせることしかしていませんでした。
メリットでメリットをちゃんと伝えられなかったんですよね。
周りの人も同じで僕を仕事ができないみたいな目で見てて、僕が気になった点を「こんなんちゃいますか?」と言っても「ああそう」と明らかに相手にされていないようなことを感じることもありました。
そして「なにか違う」という気持ちが大きくなり、一年足らずで辞めました。

 
       
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