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あるラーメンとの出会い

 
   

それからは定職に就くこともせず、フリーターをやっていました。
今の僕からは誰も全く想像もできないでしょうけどね(笑)
そして3年間が経った頃、そんな生活にからも脱却しないといけないと思い電話の回線の会社に就職しました。
市街電話が安くなるというような営業をしていて、営業のスタイルも前の会社とは違ったのでここでは営業成績も徐々に上がっていったのですが、仕事をしているうちにその仕事に疑問を感じ始めました。
そしてもやもやした想いを抱きながら仕事をしていて、営業に行った帰りにラーメン屋さんにふらっと寄ってラーメンを食べたんですね。
そのラーメンを食べたときに、「ここのラーメン美味しいなぁ。細麺でこの麺も美味しいなぁ。」と思ってパッと横のゴミ箱を見たらラーメンの麺の袋が捨ててあったんです。
自分の仕事にもやもやしていた僕はその一瞬で決意して、その翌日にはそのラーメンの麺を作っている会社に電話をかけていました。

 
   

製麺会社へ

 
   

「もし営業の枠が空いていたら、一回面接してくれませんか!?」と、僕は飛び込みで電話をかけました。
「営業は募集してないんやけど、配達なら募集してるから、ほなら一回面接しましょうか。」ということで製麺会社に面接に行ったのがラーメン業界の始まりでした。
契約している会社に麺を配達する仕事だったんですが、社長は「配達しながら営業してくれてもかまへんよ。営業の成績が上がりだしたら営業職にしますから。」ということで最初は配達をしながら営業をしていました。

営業するといっても、自社の麺の特徴などを説明できるわけじゃなく、ラーメン屋さんになかなか入る勇気もなかったので、初めは、「中華料理屋さんは麺にそこ迄こだわっていないんじゃないか?」と思い中華料理屋さんに営業にいきました。
しかし、営業に行くと「それなんぼや?それは?高いなぁ。ええわぁ。」というようなことの繰り返しでした。

売れるところと言えば、1玉¥50でとってる店に「これ1玉¥45なんです!」ということを言うと「ええなぁ。ほなそれとるわ!」といったような具合で価格だけに左右されてしまっていて、「これなぁ俺じゃなくても、誰がやっても契約とれてるなぁ。」と思いました。


【営業先のラーメンに合う麺を!】
そして営業のスタイルを変える為今度から営業をまわる前にそこでラーメン食べようということにしました。
元々ラーメン好きなので、ラーメン食べて、「このスープやったらうちのこの麺が合いそうやなぁ」ということが浮かんでくるんですよね。
だから営業に行ったときに、「実はこの前食べさせてもらって、この麺の方が合うと思うんですけど」と提案するとだいたい「ほんまかいな? ほんで値段はいくらやねん?」と言われるんですよ。
なので「いや、値段より先に食べてください。よかったら僕にもその一杯、食べさせてもらえませんか?」と言って食べさせてもらっては、自分で「やっぱり」というような事を思っていました。
でもお店の人は変える勇気がないんですよね。「美味しいけどなぁ」というんですよね。
それで結局契約とれなかったんですけど、自分の提案は間違っていなかったということを確信しました。

最初の頃は自分の提案が間違っていないということを確認するぐらいだったんですが、いろんなところへ営業にまわっているとだいたいの営業先が「暇でなぁ」というんですよね。
それで話を聞いているうちに、自分の想いが「うちの麺使ったら絶対繁盛するのにな」に変わってきたんです。
その店の味を変えることができるという自信も、知識もあったし、何よりそれだけの気持ちでやってるから絶対繁盛させることができる!と思いました。
それからはその想いを前に出していってだんだん営業成績が上がっていって、配達から営業専任になっていったんです。

 
   

ターニングポイント

 
   

営業の成績は上がっていったもの、壁にぶち当たるんですよね。
実際、自分自身で麺をプロデュースしていったところは売り上げも上がっていて、その実績も徐々に積み重なっていったんですが、いきなり飛び込みの営業の言う事を受け入れられない営業先さんもいるんですよね。
それでなかなか取引するまでに至らなかったりなど、なかなか成績も伸びないといったことがありました。

そんな時、ある営業先さんが「この皿なぁ、もっと良いものがあればええんやけど」ということを言っていました。
僕はいろんなところを営業でまわっていたので「その皿だったら、この前、合いそうなお皿見たんで、持って来ましょうか?」という提案をして、そのお皿を見てもらいました。そしたら「ええなぁ」と言ってくれたので、次はお皿を必要枚数分買って行ったんです。
そうすると「なんでそこ迄やってくれんねん?」という話になって、「たまたま僕が前に見てた中に合いそうなのがあっただけですよ。」というと、「悪いから麺とるわぁ」と言ってくれました。
でも僕はそんなつもりじゃなかったので「いやいや、その話は抜きにしてまた話ましょうよ。」という事を言うと「いやいやそこ迄やってくれたら」ということで取引しまいた。
この時に「距離を近づけるんなら、ただ単に麺を売りに行くだけじゃあかんねんな。お客様が必要としていることを考えんと。」ということ気付かせてくれたターニングポイントの一つだったと思います。


【黒醤油ラーメンの誕生】
それからは麺と一緒に醤油、麺と一緒に油を持っていったりなど、「お客様が悩んでいるモノを提案する」という営業の仕方に変わっていきました。
そうやって麺と一緒にいろんなモノを持っていくようになると、いろんなところで繋がりができてくるんですよね。
そして気がつけば、ラーメンの業界だけじゃなく、いろんな業界や業者さんとのネットワークができていて、それを有効活用できている自分がいました。

営業先の一つで、寝屋川のラーメン屋さんで池澤さんという人がいました。
麺はとってくれなかったんですけど、この人は人間としても経営者としても凄い人で、毎回行く度にいろいろな学びを貰えるので、何回か通っていました。
そんなある日、「西原さん、今度うまい醤油ラーメンやりたいんやけど、ええ醤油ないかな?」ということを言ってくれたんです。
「よさそうな醤油あったから一回僕、取り寄せしましょか?」ということで取り寄せて、池澤さんに渡しました。
そして、その醤油でラーメンを作って限定で販売したんです。
そうすると一ヶ月でその醤油ラーメンは行列が出来るぐらい人気になりました。
そのラーメンが今わっしょいで提供している、黒醤油ラーメンなんです。

そして池澤さんのお弟子さんがその黒醤油ラーメンを受け継いで店をやるときに、「このスープに合う麺がないから」ということで、そのスープに合わせた麺を一から作って取引してもらえるようになりました。

そうやって「顧客のことを第一に思って仕事をしていれば、道は開けていくんやな」と思って仕事をしていました。

 
   

大きな決断

 
   

しかし、そうこうしているうちに、会社との方針が合わなくなりました。
そして結局辞めることになります。
辞める前には本当にどうしようかと悩みました。
辞める勇気もなかったし、お客様と話をするのも楽しいし、自分がやればやるだけ喜んでくれるという関係でもありましたから。
関係が出来上がってしまっているから、なかなか辞められないんですよね。
だから会社を辞めると、今迄取引してきた人たちは絶対悲しむだろうなと思って、なかなか踏み切れなかったんです。
そんなときに池澤さんが背中を押してくれたんです。

池澤さんはこんな言葉をくれました。
「決めたと同時に新しいことが思い浮かぶ。決めないうちは不安しか思い浮かばないから。でも決めてしまうとどうしたらいいかということが思い浮かぶ。だから、まず決めることから始めたら良い。」

その言葉をもらって自分の心は決まりました。

 
       
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