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帰国、そして就職

 
   

日本に帰ってきても、宝石商をしたいという想いも以前と変わらず、「宝石業界だったら何でもいい」と思い、大阪で、宝石業界では珍しい手作り加工専門の会社の営業マンに就職をしました。
私からすれば初めての宝石業界の仕事で、「何でもさせてくれて、成長させてくれる会社」で願ったり叶ったりな会社でした。
でも、他の人からすれば「何でもやらされる会社」みたいでしたけどね(笑)
実際なんでもさせてくれるので、毎日朝の8時に出勤して夜の11時まで働いていました。
普通の人が3年かかるところを私は2年で学べるからラッキーと思っていましたし、宝石の仕事に関しては全くしんどいと思ったことはありません。
それは、小さい頃からずーっと父の背中を見ていたし、自分が当たり前のように宝石と接してきたからだと思います。いくら仕事の量が多くても、いくら周りから見たらしんどいような仕事でも、私にとっては全て当たり前のことなんですよね。
この加工の会社を通じては宝石がどのように出来上がるのかを知る事が出来ました。

 
   

2ヶ月間東京へ、そして

 
   

それから2年が経った時、振り返ってみると営業力はかなりあがったと思いました。
実際、私が関わり始めてから、会社の売り上げは3倍になってましたから。
自分の中で仕事として通用する部分があることを知ることができました。
そして、ある時会社で東京に2ヶ月だけ転勤という話があったんですね。
私が2ヶ月間だけ行ったらその2ヶ月間の売り上げが案の定上がったんです。
すると社長が喜んで、「東京にそのまま転勤しろ」という話になりました。
でも、当時私は会社の為に東京にいくという関係がイマイチ出来ていなかったんですよね。
「この会社の為に東京には行く意味がわからない」と思い会社を辞めることにしました。

 
   

今しか出来ない事をやる

 
   

そして辞めてからは、「今しかできないことをやろう」と思って、やりたかった舞台役者をしました。
舞台役者との出逢いはカナダに留学していた頃。
英語をもっと学べるようにと、演劇のクラブ活動に参加していたことがきっかけです。
舞台に立ってスポットライトがあたる感覚が忘れられなくてもう一度チャレンジしてみることにしました。
そして、中途半端にしてもいけないと思い、「舞台で食べるなら東京だ!」とすぐに東京にいきました。
会社の為じゃなくて自分の為だったらすぐに行けるんですよね(笑)

でも舞台役者というのは麻薬と一緒で舞台に上がればずっと役者をしたくなってしまうんですよね。
なかなか儲からないのに。
「このままじゃ駄目だ」と思い、4年が経った時にきっぱり辞めました。
辞めてからは東京の宝石会社で3年間働きます。

 
       
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