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世界を変えたい!起業

 
   

大学の時は、どこかの企業や学校で勤めている自分っていうのがどうしても想像できなくて。教員採用試験もあと一人のところで落ちたり、就職活動もかなり遅くて(笑)それでも、いくつか内定はいただいたのですが、結局お断りして、「自分達で何かやればいいか」って思って。友達3人と起業したんですよ。僕たちの行動を世間に示したいと思ってたんですよね。単にお金儲けをするのではなく、社会問題を事業を通して解決する、いわゆるソーシャル・ベンチャー、社会起業です。だから、NPOで起業をしたんです。当然、すぐにその活動だけで生活していけるわけもなく、自分でお金を稼いで生活していく為に、ストリートで自分の書いた書を販売することにしました。

 
   

ストリートで見た現実

 
   

2008年の年明け頃に初めてストリートに出ました。
その時の事は今でも覚えていますが、行き交う人は誰も止まってくれないんですよね(笑)
最初はこんな感じで、「売れんなぁ」と頭を抱えていたのを思い出します。そして、試行錯誤しながら、「あなたを見て書く」という即興書道になっていきました。そうすると人がだんだん集まってきました。そんな感じでストリートパフォーマンスをやってきたんですけど、ストリートで出逢う人にはいろんな人がいて、かなりディープな世界があったんですよ。
ホームレスのおっちゃんとか、薬物中毒の少年少女とか、いろんな人を見てきて、こうやっていろんな人に出逢っていく中で「俺、世界を変えたいって言ってきたけど、自分の住んでる日本はええのか!?」って思うようになりました。
ちょっと自分の街に出て足下を見ただけで、こんな世界があるんだって初めて気付いたんですね。「世界を変えたい」って言葉だけを聞いたらかっこいいかもしれない。
体験したことのない戦争、飢餓。たしかにそれも重要なこと。でもそれは自分が知らない、見たことない。だからそれは自分の「世界」ではなく、あいまいな「セカイ」であり「シャカイ」。でも、足元の街の現状を自分の目で見て、感じて気付き、落とし込んだ。小さくてもそっちのほうが「世界」であり「社会」ですよね。これが大事なんですよ。

 
   

ストリートでの出会い、世界平和のメッセージ

 
   

そうやってストリートパフォーマンスをしているときに、一つの出逢いがあって。ニューヨークでいろんなアートのプロジェクトをしている日本人のディレクターさんに出逢いました。 その人は本当にリミットがない人で、「これしたい!」って言ったら「もうやってる」みたいな、自分が思ったことを実現させてきた人なんですね。それでそのディレクターさんに、「君、面白いからニューヨーク来なよ」というようなことを言われて。「これは行くしかない」と思って、ニューヨークに行くことにしました。初めての海外でしたし、すべてが新鮮でしたね。ニューヨークの人に書を書いたり、いろんな交流をさせてもらいました。ハリウット女優、チベット亡命政府関係者など、さまざまな著名人やアーティストと書を通して繋がった。そのことで、また自分の「世界」が広がった。徐々にですが、山村龍和の目指す「平和のメッセージ」とはなにか、をはっきりさせていく経験ですよね。

 
       
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