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“はい!元気です!”

 
   

小学校の頃は転校が多かった僕ですが、転校の度にクラスでは人気者になっていました。
先生に「転校生の北川元気くんです!」と紹介されて、「元気です!」と言っただけで、笑いが起こったり、朝の健康観察でも「北川くん!」と呼ばれて、「はい!元気です!」と言っただけで笑いが起こりましたからね。
名前だけで目立っちゃうんですよね(笑)
でもその反面、少しでも元気なさそうな顔をしていたら「名前負けしてるんちゃう?」とも言われたりします。
僕は27年間生きてきて、世界一面白いギャグって言ってるんですが、「元気くん元気?」と名前をからかわれたりもしますからね(笑)
そういったことがあるから、常に自分自身元気でいたいし、根本的に「人を元気にしたい」という想いがあります。

 
   

何の為に生まれて 何をして生きるのか

 
   

10歳の時に父が死にました。
昨日まで、生きていた人が、心臓が止まって、モノになって、そして灰になるんですよ。
日本の火葬ってエレベーターみたいな場所に入れられて、チンッって出てきたら灰になって出てくるじゃないですか。
それを10歳で見た時に、何故かわからないけど“死”に対して違和感を感じました。
そして、「“死”って何なんやろう?」とか、「なんで生きてるんやろう?」とか、「なんで死ぬんやろう?」とか、「なんの為に生まれて、何の為に死んでいくんやろう?」と常に考えるようになっていました。
そんなことを頭で考えているとき、僕の師匠の言葉が頭の中に衝撃を与えました。

「何の為に生まれて 何をして生きるのか わからないまま終わる そんなのは嫌だ!」

「何が君の幸せ?何をして喜ぶ? 答えられないなんてそんなのは嫌だ!」

とアンパンマン師匠が言ったんですよ。
その瞬間、「これやぁ!!!!その通り!!」って思って、そこからアンパンマンが僕の師匠になりました(笑)

 
   

17歳 東京へ

 
   

中学校の時は超ヤンキーでした(笑)
とにかく「自由に生きたい」という想いがあったから、就職するとか進学することにあまりワクワクしなくて、中学校を卒業してからは高校にも行かず、しばらくは滋賀で仕事をしたりして自由気ままに過ごしていました。
でも、どんな仕事をしてもあまり長くは続きませんでした。
「なんの為に」という仕事への意味を見いだせてなかったからからかもしれませんね。
続かないし面白くないので、17歳の時自分探しの為に、東京に3ヶ月間行きました。
東京に行ったら行ったで、ホストやキャッチをしてお金をそこそこ稼げてしまったので、当時は「人生楽勝やな」とも思っていましたね。
そんな生活をしているうちに、18歳の誕生日を迎えたので、地元滋賀に、免許を取りに帰りました。
でも教習所通うのも1ヶ月間とかかかるし、その間暇じゃないですか(笑)
免許取ったからって車が欲しかったわけでもなかったので、「車を買った」と思って¥200万ぐらいでお店を始めようと思いました。

 
       
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