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”スナックトンボ”

 
   

お店の名前は”スナックトンボ”。
奇麗なお姉ちゃんばっかりを集めて飲み屋をしたら馬鹿当たりしてしまったんですよ(笑)
そこから”スナックシャボン玉”、”ダーツバー シャボン玉”、”ベロベロバー” と、店舗展開をしていき、3年で4店舗になりました。
そこそこにお金は儲かったんです。
でも、そこでも違和感を感じていました。
お金を儲けても満足しない
お金は稼げるけど、人がついてこない。
たくさん失敗をしました。
だって、車買ったと思っての軽い感じで店作ったからね。
遊んでばかりで、経営の勉強も全くしてなかったし、そうして、「このままのやり方じゃいかん」という事を日々感じていました。

 
   

高橋歩との出会い インドへ

 
   

当時からしゃべりだけは上手かったから、司会を頼まれることが多くて、そんな時、高橋歩のイベントの司会を務める事になりました。
イベントも無事に終わり、その時の打ち上げで、初めて高橋歩と話をしました。
僕は長渕剛が好きだったんですが、高橋歩も長渕が好きだったんですよ。
長渕剛の曲の中で”ガンジス”という曲があって、この曲が超好きでね。
長渕剛がインドのガンジス川で体験したときの歌。
インド人ガンジスは川のほとりで薪で人を燃やし、そしてガンジス川に流す。
それを「いつかは見に行きたいなぁ」と思っていたんですよね。
それを高橋歩と話をしている時に思い出していて、「行きたいなぁ」って思ってたら、高橋歩が「インドで学校つくるんだけど一緒に来ない?」って言ってきたんですよね(笑)
思わず「行く!!」って言ってしまって、もう行く気満々。
とは思ったものの実際は、お店もあるし行く事さえも難しかったんですよ。
でもどうしても行きたかったから、各店舗の店長に「お前にこの店あげるから!!頼むから行かせてくれ。」って言って半ば無理やりインドに行くことにしました。

 
   

“俺”から”日本人”へ

 
   

アジアを一人で旅をして、インドで高橋歩と合流して、ガンジスの町に学校を作りました。
その時に自分の考え方がゴロっと変わる瞬間があって、アジア各国の若者達はみんな自分の国に誇りを持っていて、自分の国に対する歴史とかをしっかり知っていたり、考え方をしっかり持ってるんですよね。
自分の国にしっかりとした誇りを持っていて、自分の国のいい所や、かっこいい人を知ってるんですよ。
そんな人と接するうちに「俺って日本のこと全く知らんやん!」と思ってしまい、もっと日本の事を知ろうと思いました。
この時に今まで“俺”って感じの考え方から”日本人”っていう考え方になった感じかな。
「一度しかない人生やし、アンパンマン師匠が言うように、何の為に生きて、何が自分の幸せなのか?ということを追求していきたいなぁ」と思うようになり、「日本を元気にしたい」という想いが少しずつ芽生え始めていました。

 
   

センキューティーチャー

 
   

中学校の担任の先生に出会ってから「先生になりたい」という夢を持っていたんですが、学もなかったから先生になれないと思っていたんですよね。
アジアを一人旅している時に、カンボジアでギター持って子ども達に音楽を教えたり、歌を教えたりしてた事があったんですが、歌を教えた後に「センキューティーチャー」って言われたんです。
その時、全身で鳥肌が立ってしまってね(笑)
「うわー先生って言われた!」って感動してしまいました。
その子は「ほんまに感謝してくれている」ということを感じられたし、心の底から感謝してくれている人とそばにいることが大好きだからね。
この時、やっぱり「仕事でも純粋に人を感動させたい」って思ったね。
例えば、¥50万で作ってと言われたとしても、¥50万分の商品じゃなく、「¥50万でこんなに!?」って言わせられるぐらいの事をしたいよね。
それだけやって人を感動させられると思う。
だから、そこまでやることがゴールになりました。

 
       
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