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大人を夢見ていた子ども時代

 
   

私は曾祖父からのお店「しのぶ庵」の三代目として生まれました。
そんな私は小さい頃目立ちたがり屋でした。ちょっと調子に乗った感じで、クラスの中で視線を浴びるのが好きだったんです。
それがちょうど小学校の高学年ぐらいですかね。
中学校に入ると、新聞配達のアルバイトを始めていました。始めた理由は一つ、「自転車が欲しかったから」です(笑)
今思うと早く大人になりたかったのかなーとも思います。
経済的に不自由なことはなかったですが、自分の好きなことに誰の指図も受けずに使えるお金が欲しかったのかもしれません。
高校には進学しましたが、登校はするものの、授業中は寝ていることが殆どでした。
その理由は、アルバイトをしていたからです。
たこ焼き、お好み焼き屋さんで毎日アルバイト、だいたい深夜2時ぐらい迄はしていましたかね。
アルバイトの生活を繰り返していたので勉強はほとんどしていません。
しかし、みんなが進学するというので私は大学進学をすることにします。

 
   

お客様のことを意識し始めるバーテンダー

 
   

進学した大学は大阪経済法科大学。
振り返ってみると、アルバイトばかりでほとんど大学へは行ってませんが(笑)
当時のアルバイト先は、個人経営の小さなバーで、そこではドリンクを作ったり、お客様と話をしたり。バーテンダーとしてアルバイトをしていました。
この時のバーテンダーの経験で”お客様”を意識するようになりました。
一回来店されたお客様の顔を覚えていたら、お客様に喜んでいただけるし、そうやってたくさんの方と話をしていくうちに常連のお客様もつくようになり、バーテンダーの仕事はとても楽しいものとなりました。

 
   

就活の「シの字」も知らなかった就職活動

 
   

アルバイトばかりを続けていた大学生活でしたが、ついに仕事を選ばないといけない時期がきてしまいました。
就職活動の到来です。
ですが、アルバイトばかりをしていた私は就職活動の「シの字」も知りませんでした。
でも、就職が人生を決めるとも思っていませんでした。
なので自分の好きな事ができる環境で会社を選ぼうと思ったのです。
当時私はジェットスキーにはまっていたので、業種を選ぶ基準は「土日に休めるかどうかどうか」ということでした。
そうやって考えていくと、銀行か、保険か、商社か、証券会社。

消去法で考えた結果、証券会社に決まりました。
そして証券会社を2社受け、2社ともから内定を貰います。
なんと内定率100%です(笑)
どちらに行くのかを選ぶときの基準は「大阪に残れるかどうか」ということで決定します。
なんとしても大阪のチームでジェットスキーをしたかったのでね(笑)

 
       
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