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帰国、そしてお店での修行

 
   

その後もビザの関係で日本に帰国しながら、アメリカで生活をしていました。
そんなとき父親から「助けてほしい」という内容の手紙が届きました。
父から手紙が来たのは初めてだったので、日本に帰国し、父親の会社に入ります。
最初は大阪府庁内にある、”議員倶楽部”という喫茶店から始まりました。
一杯190円のコーヒーを販売し、10円のおつりを渡す毎日。
このままでは発展はないと、私は主体的にどんどん自分のやりたいこと、やった方がいいと思うことをお店に反映させて行きました。
そうやって新しい事をはじめ、お店がまわり始めると、次はしのぶ庵で修行することになりました。
しのぶ庵で働き始めてもなかなか教えてもらうことが出来ず、独学でそば打ちを学びました。
そうやって日々過ごすうちに基本的な業務は覚えていきました。
ある日、
「住友商事に行くぞ!」
父に言われました。
このとき大阪にユニバーサルスタジオジャパン(USJ)ができるということで、それにともなって、住友商事が飲食店や雑貨店を集めたショッピングモールのような、ユニバーサルシティウォーク(以下UCW)を作るということでした。
父はこの時の10年程前にUSJが日本にできるという話を聞いた時、「UCWに店を出したい」という夢を描いたのです。
そして家の壁に
「UCWにしのぶ庵出店」
という夢を掲げていました。
小さい頃からその張り紙を見ていた私は父の夢を応援したいと潜在意識の中で思っていたのかもしれません。
そして、住友商事に行きますが、何回行っても相手にされませんでした。
それでも夢を叶えたい父と、父の夢を叶えたい僕は何度も何度も足を運びました。
そうやって何回も2人で足を運んでいるうちに偶然父の友人と出逢いました。
父とは高校の時の同級生だったらしく親しい間柄のようでした。
「立ち話も何やし、俺の部屋来いよ」
部屋?と思っていると
「部長室」と書かれた部屋に通されました。
そして今迄の話をすると、今迄全く相手にされなかった事が嘘のように
「なんとかしたる!話を通しておくから」と言われました。
そして後日住友商事から電話があり、なんとUCWへお店を出せることになったんです!
しかし、、、
   
【挫折、そして…】
「一ヶ月後、急に出店の話がなくなりました。
その話を聞いたとき、「人生こんなもんや」と頭の中が真っ黒になりました。
そこから、僕は仕事を投げ出しました。
「いくら頑張っても結局報われん」と次の日からパチンコなど、遊びほうけました。
ある日、そんな生活をしている僕を父が無理矢理ある場所に連れていきました。
その場所は、住友商事。
よく見ると、父の顔がいつにもなく真剣でした。
そんないつもと違う真剣な雰囲気に感化され、今迄の想いがあふれてきました。
住友商事に着き、自分たちの想いを本気でぶつけました。
我武者らにしゃべりました。
自分たちの想いを全て伝えました。
その帰り道、全てを出し切ったことで胸がすっきりして、「これはこれで仕方ない。また明日から頑張ろう」と思ったんです。
数日後、仕事をしていると一本の電話が鳴りました。
父の友人からで「ええ話があるから来い」ということでした。
住友商事に行ってみると、なんと、出店が決まったとの事でした!!
本当に嬉しくて、この日の帰り道の記憶がありません(笑)
そうして正式に出店も決まり、法人化することになりました。
「有限会社エムアンドエムフーズ」
父の名のマサユキのMと、僕の名のマサノブのM。
二人の想いが詰まった会社です。
そうやって、UCWのしのぶ庵での業務が始まりました。

 
   

悩み、そして、生きる意味を見つける

 
   

当時、UCWのしのぶ庵では毎日800名近い来店者数がありました。
最初は、お店のオペレーションもしっかりしていなく、お客様を怒らせてしまうこともありました。
しのぶ庵の前で土下座をさせられたこともありあました…
そうやって、毎日忙しいお店なのにも関わらず、スタッフが次々に辞めていきました。
「自分はこんなに頑張っているのに、スタッフは辞めていく。
お客様にも罵倒されることもある。
何の為に生きているんだろう?」
と毎日真剣に悩みました。
そんなある日、妙にリアルな夢を見たんです。
葬式の風景で、棺の中には自分自身が入っています。
その葬式の様子を僕は天井の隅っこの方から眺めていたんです。
泣いてくれている人がいれば、笑っている人がいる、僕は「こんなもんか」と思いながらその風景を見ていました。
しかし、ある人が僕の棺に近づき死んでいる僕にこう言いました。
「お前に出会えてよかった!!!!!」
その言葉を聞いた瞬間、僕は夢から現実に引き戻されました!
「この言葉を言ってもらう為に生きていこう!」
この言葉を聞いた瞬間そう思いました。
僕はこの夢から自分の生きる目的を見つけることが出来たんです!
それからというもの、自分自身の考え方が180度変わりました。
思い返してみると、そのときまでの自分は「お前に出逢えてよかった」と多くの人に言ってもらえるような人じゃなかったと思います。
人間、目的がはっきりすると思考も変わってきて、今迄「自分」主体だった目線が「他人」から自分を見るとどうか?という考えに変わっていきました。
そして他人から見られているであろう、理想の自分に近づけるように、自分が欲しいものがあればまず与えることであったり、一期一会を大切に、出逢った人に本気で関わるようになりました。
その頃から、本当の意味で僕の人生は輝き始めたのかもしれません!

 
   

事業の継承、そして夢を見つける

 
   

そして、事業も父から引き継ぎ、有限会社エムアンドエムフーズの代表取締役に就任します。
その頃から、自分の人生の目的により近づく為に、自分自身のレベルアップの為に研修などにも積極的に参加しました。
そんな時、ある勉強会で有限会社てっぺんの大嶋啓介君と出会いました。
勉強会は毎回楽しかったのですが、その勉強会でどうしても避けてきたことが一つありました。
それは、勉強会が終わったあとの打ち上げでの「夢の発表」。
当時僕には夢と呼べるものがありませんでした。
いや、正しくは人に発表するような夢が自分にはないと思っていたんですね。
夢の発表が自分の番に来そうになると、トイレに行ったり、電話がかかって来たふりをしたりなど夢を発表しないでいいように逃げていました(笑)
しかし、ある時どうしても逃げられないときがあって、何でもいいから自分の想っていることを発表したことがあったんです。
すると…
「いいね!!」
「応援するよ!!」
「一緒にやろうよ!!」
周りのみんなは僕の夢を認めてくれました。
「夢ってこんなんでええんや!!!!!」と思いました。
今まで夢とは、みんなに賞賛されるものではないといけないと思っていました。
でも、自分が心の底から想っていることが夢なんだと気づく事ができたんです。
そういう事を想ったのですが、僕には「これだ!!」と思う夢がなかったのです。
そんな時、福島正伸さんの”夢塾”という塾に通っていたとき、「僕には夢がない」ということを福島正伸さんに相談しました。
「大橋君、そんな時は人の夢を自分の夢にするといいよ!」と言われました。
だから僕は、福島さんの「誰もが夢を当たり前に語る社会を創りたい」という夢を自分の夢にしました。
そして「自分の生まれ育った大阪から夢を発信して、誰もが夢を当たり前に語る社会を目指したい」と仲間に想いを伝えました。
そうやって自分の想いを語っていっているうちに、多くの仲間が集まり、自分を応援してくれるようになりました。
そうやってできたのが、NPO法人大阪維新会です。
   
【これからの夢】
夢は始まったばかりです。
僕の夢はたくさんあります。
エムアンドエムフーズのお店を通じて多くのお客様に感動してもらうことや、NPO法人大阪維新会の活動を通じて、夢を語る社会をつくること。
様々な形の夢があります。
しかし、その全ての根本にあるのは「お前に出逢えてよかった」と言われることなんです。
その生きる上での目的を達成させる為に、これからもいろんな夢が増えていくと思います!

 
   

若者へのメッセージ

 
   

今迄話をしてきたように、僕も昔は夢がありませんでした。
でもいろんな人に出逢うなかで、いろんな事にチャレンジさせてもらい、今の自分があります。
だから、いろんな人に出逢って欲しいと思います。
いろんな事にチャレンジして欲しいと思います。
人には無限の可能性があります。
もし、自分の進む道がわからなかったら、自分のメンターを見つけてください。
そうすればあなたの進むべき道を教えてくれると思います。
大丈夫、やればできます!
挑戦する人間には心が折れる瞬間が沢山あります。
でも、それは試されているだけです!
負けないで!絶対できる!

 
       
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