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バラエティショップ ピノキオ

 
   

大学は無事に卒業することができましたが、企業に就職する気なんてさらさらありませんでした。
小さい頃から、両親が経営をしていた中華料理店で、お客様を喜ばしている両親の姿を見て育っていましたから。
「いつかは自分で商売をしたい」と思っていていました。
それに、大学での予行演習は成功しましたからね。
元々ファンシー雑貨が好きだったので、卒業後は女性向けにファンシー雑貨を販売する雑貨屋さんを始めました。
好きな事を仕事にしないと、「売れるから」というだけで商品を取り扱ってしまうと、きっとお店や商品に想いが乗らないと思ったからです。
好きな物だったら一生懸命丁寧に飾ったりもするし、無意識のうちに真剣に販売もするじゃないですか。
それに当時は、ハローキティさえも世に出ていないような時期だったので、ファンシー雑貨が売っているお店が少なかったんですよね。
競合も少なかったというのもありますけど、「もっともっと多くの人に知ってもらいたい」と思って始めました。
店の名前は“ピノキオ”。
ピノキオというのはただの木の人形が、おじいさんの愛情によって感情が芽生えるじゃないですか。
だから、「愛情を込めて売っていく気持ちを忘れないように」という想いを込めて“ピノキオ”という名前にしました。
それと、一つの業種に固まってしまうと、他のものに手を出せなくなってしまうと思ったから、正式名称を“バラエティショップ ピノキオ”と名前を付けました。
いろんなモノを取り扱って、頭を柔らかくしていきたいと思っていたから、小物やアクセサリー、その他、いろいろな物を扱いました。
そして様々なサプライズを実践していき、お客様の心をキャッチし、軌道に乗っていきました。

 
   

第二期創業期 レコードのレンタル業

 
   

“ピノキオ”では10店舗まで展開をし、年商5億にまでなりました。
そのぐらいになると、もっと商売の幅を広げたいと思うようになりました。
文房具や鞄、アクセサリーだけじゃなくて、もっと違うモノも売っていきたいと思ったんですよ。
そして、ある日、お店に立ちながら「もっと若い人に人気のある商品ないかなぁ?」とぼやいたときに、あるアルバイトの若い娘が、「レコード屋さんに人たくさんおるでー」と言ってくれました。
その言葉を頼りに、レコード屋さんを見に行くと凄い事になっていましてね(笑)
思わず、「これやろう!」って自分の中で決まってしまいました。
レンタル業のノウハウを教えてもらう為に、いろんな知り合いをたぐっていくと、大学の先輩で増田さんという人がレンタル業を営んでいることを知りました。
この増田さんというのは、そこら辺のただのおっさんじゃなくて、今を時めく“TSUTAYA”の社長だったんですよ(笑)
「僕レコードのレンタルやりたいんですけど教えてくれませんか?」と挨拶に行くと、「おう!やれやれ」ということでさっそく“ピノキオ”のお店の3分の1ぐらいを使ってレコードのレンタルを始めることとなりました。
もともと、僕もスキー部に所属していて、体育会の性で「先輩の言う事は0,2秒で返事をしろ!」と教え込まれていたので、増田さんの言う事は0,2秒で返事をし、何でもお店に反映させました。
すると、これもまた大繁盛しましてね(笑)
今まで、お客様と言ったら女性しかいませんでしたから、男性も女性も来店できるお店になって「これは面白いなぁ」とレコードレンタルにのめり込んでいきました。
これが第二期創業期です。

 
   

“ピノキオ”でのサプライズ

 
   

“ピノキオ”ではサプライズの嵐でしたね(笑)
他の店と同じ商品を扱っていたとしても、ディスカウントに走るのではなく、いかにお客様をビックリさせるかということで勝とうとしていましたね。
例えば、バレンタインなんかは、バレンタインのイベントブースを作って、子どもが作ってきたクッキーにパティシエがチョコで名前を書くとかってね。
これも大喜びして頂けました!!
もうサプライズというのは本当に快感でしたから、他にもいろいろなサプライズイベントを企画していきました。
占いのコーナーをお店の中に作って、¥3,000以上買うと占い見放題とかね。
プラスαのちょっとした事がお客様の喜びを作るんです。
こういうサプライズイベントを企画する前に、変に会議をやってなかったのもよかったのかもしれないです。
良いアイデアがあったとしても、会議でみんなで話し合うと、「実現したら面白いかも!」というワクワクするアイデアでも、だんだん角が取れていき、無難になっていって実現はしやすいけど面白くないアイデアになってしまいますから。
やっぱり、オリジナルの尖ったまんまのアイデアが重要だと思います。
もし、駄目だったら市場が判断してくれますから。

 
   

皇室までも巻き込む大サプライズ

 
   

30歳の頃には青年会議所に入って、その後は青年会議所の理事となりました。
そこでいろいろな事を学ぶうちに、「あぁ今迄自分がやってきたことは全てホスピタリティだったんか!」と気付くことができて、自分の今迄の行動に名前がつきました。
それまでホスピタリティの名前さえ知りませんでしたから(笑)
僕が青年会議所の理事の時に、障がい者の方の学校へ、サプライズを企画したことがあってね。
このサプライズを企画した時には、実現可能か不可能かも考えず、障がい者の方に「どうやったら喜んでもらえるんだろう?」という事だけに集中して企画を考えましてね。
その企画の内容をいろんな人に話すと、「それだったら協力しようか?」といって、いつの間にか協力者がたくさん集まっていました。
もう終いには、警察、皇室の人まで協力してくれましたからね(笑)
「皇室が動くのなら大きな会場がいる」ということで、小学校を貸してもらったり、「大きな駐車場もいる」ということで、大阪ガスさんにの地下の大きな駐車場を借りることができたり、地域全体が協力してくれたんです。
この時、「サプライズへの気持ちが強くて、企画が尖っていたらなんぼでも人は協力してくれるんやな!」ということを経験を通して感じましたね。
だって全部無料ですよ(笑)

 
       
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