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大手自動車メーカーへ

 
   

そして、面接や筆記試験をなんとかクリアすることができて、大手の自動車メーカーに就職をすることができました。
車のリース会社に配属されていたんですが、当時はバブルの絶頂だったので何もしなくても、バンバン車が売れたんですよ(笑)
でも、バブルははじけてしまいます。
バブルがはじけた後、バブル前の契約で売掛金が残っていて、まだ支払いをしてもらっていない取引がたくさんありました。
そこからは、自動車の販売というよりは、実質、お金を回収しに行く借金取りのような仕事になりました。
この時が一番苦しかったです。
肉体的に苦しいとかじゃなく、お金がないのをわかっていてお客様の下を訪問しないといけないですから。

 
   

転勤

 
   

バブル後の辛さもなんとか乗り越え、結婚もし、子どもも授かって安定した暮らしをしていたのですが、新卒で入社して13年半が経った頃、会社から急に理不尽な転勤を言い渡されました。
それは、当時僕が労働組合の役員をしていたからでした。
会社の売り上げが低迷し、社長が外国人に変わると、労働組合の役員達を「集まって会社に都合の悪いことを言わせないようにする為」にバラバラにしてしまったんです。
聞くところによると、外国では労働組合が受け入れられていなく、外国人には理解し難い立場だったとのことでした。
転勤を言い渡された時、「どうしよう」と思いました。
娘も幼稚園に入ったばかりだったので、娘の周りの環境を転勤により変えてしまう事はしたくありませんでした。
残された道は単身赴任か、会社を辞めるかという道でした。
結局、「最愛の娘と離れたくない」と思って、会社を辞めることを決心します。
それを嫁さんに相談すると、「やりたくない仕事なら辞めたら?」とすんなり受け入れてくれました。
肝っ玉の据わってる奥さんで「お金が無くてもどうにでもなる」という想いを持っていろんな事をやっていた人だったのですんなり受け入れてくれたんだと思います。
これが、社内恋愛の末の結婚であったら受け入れられていなかったでしょうね。

 
   

職人との出会い

 
   

会社を辞めたもの、次にする事を何も決めていなかったので、しばらくアルバイトをしながら退職金で食いつないでいました。
そんな時に、元々いた自動車メーカーの協力会社で、個人的にも仲良くさせて頂いていた、株式会社イチネン(以下:イチネン)という会社から、「うちの会社来ない?」という事を言って頂いたんです。
その会社は一部上場をしていて、リース・メンテナンスリースと燃料販売の会社でした。
イチネンは、町の小さな修理工場の、技術力が高い職人さん達に焦点をあてていたんです。
地域には技術力の高い人がいるのに、世間に知られていないというのが町の修理工場の課題でした。
イチネンはメンテナンスなどを職人さんに任せていたんですよ。
兼ねてから僕もその現状を「勿体ない」と思っていたので、その想いにすぐに共感できました。
だからこそイチネンに入社し、地区の修理工場をまとめるマネージャーをさせて頂きました。
そこで、地域の修理工場の職人さん達との繋がりができました。
この仕事で、職人さんと繋がりを持てた事が今の中古車販売という仕事にも繋がっているし、イチネンでの経験はとても大きな価値のある経験でした。

 
       
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