rogo  
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小さい頃は黄レンジャーになりたかった

 
   

小学校の頃はごく普通の男の子で当時の夢は「戦隊物の黄レンジャーになりたい」でしたね。
黄レンジャーって、力持ちで大飯喰らい。でも、いざとなったら、頼れるやつ!!ってイメージだったんです。
そして、賑やかにしているからこそ周りが映える。そんな姿に憧れました。
周りが映えるようにというのは今の自分に繋がる部分があるかもしれません。

 
   

卓球・柔道・山岳・映画、いろんなモノに興味をもった学生時代

 
   

中学校はそのとき興味を持っていた卓球部に入りました。 卓球部は3年間続けるわけなんですが、その途中で自分を少し鍛えたいなと思って柔道を警察署で始めました。柔道は中学高校と続けて、高校卒業前に段位を取りましたね。高校では植村直己さんのドキュメンタリーを見て、山に惹かれて山岳部に入りました。高校を卒業して、大学で見つけたのが、映画研究部でした。完全にオタクですね(笑)そこでは映画を鑑賞して評論という活動をしたり、自主製作映画を3本ほど関わりましたかね。10分~15分の映画を作るのに半年くらいかかりました。 映画の公開予定がずれ込んだりすることあるじゃないですか。自分で作ってみて、製作の難しさを実感して、意味がわかりました。これは本当にいい経験になりました。
当時は「映画で食べていきたい!」と思っていたので、映画製作会社に就職したかったんですが、当時、募集をかけていなかったので、下請けの会社を見に行きました。そこでの仕事は僕が思っていた物とは全く違っていて、理想と現実のギャップに苦しみました。
結局、映画の道には進まず、映画の次に好きだった食に関わる仕事にしようと思いました。そして、今の会社に内定を頂いたわけですが、単位を落としてしまって卒業できなかったんです。それでも待っていると言ってくれた今の会社に行く事を決めました。このときはどんな仕事をさせられるかなんて全く知りもしなかったんです。

 
       
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