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塾の開校へ

 
   

大学では、勉強の傍らアルバイトをして学費を稼ぎ、余ったお金を塾の開業の資金として貯めていました。
大学1年生でしたが、自宅のコーポにて塾を開校しました。ところが、塾を始めたには始めたんですが、全く生徒さんが来ません。
地域の情報誌や新聞などに、広告を出したんですが、男の大学生が自宅でやってる塾になんて、親は行かせないですよね(笑)。
でも当時の僕は、広告に記事を出せば人は集まって来ると思い込んでいたから「なんで人が来ないのかなぁ?」と不思議で仕方なかったんですよ。
でも、僕自身は、自分の部屋に小さな教室があるっていうだけでワクワクしてましたね!(笑) 「いつかこの部屋を生徒さんでいっぱいにするんだ!」って意気込んでいました。

 
   

初めての生徒 〜人との繋がりの大切さ〜

 
   

そういうわけで自宅には、ホワイトボードも長机も会議椅子もそろっていて、塾っぽくはなっているんですが、でも実際、意気込んでいるだけでは人は集まりません。
「どうしたら生徒さんたちは来てくれるのかなぁ」といつも考えていました。
そんなある日、家庭教師のアルバイト先で、問題を解いてもらっている間に、うっかり寝てしまったんです。当時、何件もアルバイトをしていて、疲れが溜まっていたんですね。
起きたとき、しまった、って思いました。「先生!寝てたでしょ」なんて怒られるのかな?と思ったんですが、その子は「先生、お疲ですね、毎日、大変なんですか?」って、優しく笑ってくれているんです。
僕は、その生徒さんの優しさに甘えて、塾を創りたいという夢や、努力しているのに生徒さんがなかなか来てくれないことなど、全てを話してしまいました。
すると、「塾ってどうやったら開けるの??」って聞いてくれました。
「いや、もう机も椅子も白板も揃っているし、カリキュラムもある。」
「じゃ、あとは何があれば、塾ができるの?」今でいうコーチングのようなトークですよね(笑)
僕は「生徒が2〜3人ぐらい来てくれたら塾になるんだけど」と言うと、
「じゃ私が、友達を呼んでくるよ!」って言ってくれたんです。 僕はその展開にびっくりし、その夜は大泣きしました(笑)。
もう一人の家庭教師先の子にも、塾を創ることを伝えると、その子もまた「呼んでくるよ」って言ってくれて、その子達を含む5人の生徒さんが来てくれて塾はスタートしました。
結局、僕は自分自身ではいろいろとやるんだけど、最終的に人を頼れてなかったんですね。 この時、僕は人との繋がりの大切さを学びました。

 
   

初めての社員の入社

 
   

徐々に生徒さんが増えました。そろそろ社員さんが欲しいなぁと思うようになりました。 ところが当時は、社員数ゼロの会社ですからね。1年近くでしたか、募集をしていたんですが、全く応募はありませんでした。ところが新学年が始まる3月に、角君という一人の青年が、面接に来たんです。嬉しかったですね。
早速、面接をしました。その時、角君が「僕は、本当は塾の先生ではなく、学校の先生になりたかったんです」と言ったんです。 僕
はこの言葉を聞いたときショックでした。逆を言うと、塾の先生にはなりたく無かったということですからね。
それで角君に、「もし、ここで働いて、いずれ学校の採用試験に受かったら学校に行くの?」と聞くと、「はい」と答えたんです。寂しいことを言うなぁ、と思ったんです。そこで突発的に、

「そうか、そんなに学校の先生になりたいのなら、僕が学校を創るから、僕についておいで」

と、思わず見栄を張って言ってしまいました(笑)。 それで角君は入社して、わが社初の、社員となりました。

 
   

角君からの「話」とは

 
   

ところが、僕の中では見栄を張った発言でしたから、学校を創るという夢を、僕は忘れていました。毎日仕事で忙しかったし、元々、夢と言うより、夢物語でした。

1年近く経とうとしていた頃、角君が話がある、というのです。
角君の口から出てきた言葉は、「会社を退職したいんです」「本気で学校、創るんですか?」と。

僕はショックでした。しかし角君は悪くなく、学校創りを忘れていた自分が悪いわけですから。 僕は「わかった。いいよ」と強がって言うしかありませんでした。
でもこれは本心ではなくて、内心は引き止めたくて仕方なかったんですが、「待ってくれ」とは言えなかったんですね(笑)。

引き止めたくても言えない。夢を与えられなかった自分に対する後悔。角君への申し訳なさ。上司というプライドが邪魔をする(笑)。いろいろな複雑な気持ちの中から出てきた僕の言葉は、
「じゃあ角君、次の職場に行っても困らないように、これから仕事が終わった後、毎日5分、僕のおすすめの本を一緒に読んで、感想を言い合おうよ」、と。

せめて次の職場では、幸せになってほしい、って思ったんです。当時の僕は、人材育成という言葉さえ知らず、本を読むこと、これしか彼のためにできることが思い浮かばなかったんです。

仕事が終わった後の短い時間でしたが、いろんな話をしました。しかし「学校を創ろう」という話は、言えませんでした。そして、とうとう角君が会社を退職する日になりました。
その最後の日も、いつも通り本を読み終え、感想を言い合いました。
「いよいよ角君と、お別れだね」
その時、角君が言った言葉は、
「これからも斉藤さんについていきます。一緒に仕事をさせて下さい!」

退職したいと言っていたのを撤回してくれたんですから、思わぬこの言葉を聞いて嬉しかったですね。そして僕はやっと「一緒に理想の学校を創ろうね!」ってもう一度、言えたんです。角君は笑顔でうんうん、ってうなずいてくれていました。学校創りが、2人の夢になった瞬間でした。一生、忘れない感動の体験でした。上司の方なら誰でもわかってくださると思いますが、僕はこの時、心から幸せを感じていました。

 
       
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