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衝撃の出来事 夢の封印

 
   

角君が戻ってくることになり、僕は嬉しくなって「そう言えば角君、明日は誕生日だったよね?退職すると思っていたので、プレゼント用意してなかったから、明日から3日間、休暇をプレゼントするよ」と言って、角君に3日間の休みをプレゼントしました。

そして、その休みの日に、

角君は高速道路で事故に巻き込まれ、亡くなりました。

皮肉にも角君の誕生日のことでした。

最初、事故のことを総務から聞いたとき、
なんのことか、さっぱりわかりませんでした。
そしてしばらく経って、心の中で、 「僕が角君に、休みをあげなかったら…」
って、自分を責めました。

前日、退職を撤回してくれただけでも、嬉しいのに、
「これからも斉藤さんについていきます!」
そう言ってくれる部下を持った、最高に幸せな体験をした翌日に、その部下は、天国という届かない場所へ連れて行ってしまった。なぜ、こんなどん底の体験をさせるの?と。

僕はこの日以来、学校創りの夢を、封印しました。

「おじいちゃんの為に医者になりたい」という夢は、おじいちゃんが亡くなったときに消えました。同じように、「角君の為に学校を創る」という夢が、角君の死と同時に、なくなりました。

やはり夢というのは、「自分の中に理由がないと続かない」ということ、今になったらよくわかりますね。

 
   

夢の復活 ドリームプランプレゼンテーション大会に出場したワケ

 
   

それから10年近く、経ちました。
かつてに比べて、塾の方は社員さんも増え、生徒さんも増えていました。
そんな時、角君が生きていたときの塾の生徒さんの同窓会に呼ばれたんです。
僕は嬉しくて同窓会に参加したんですが、みんな元気が無いんです。
それで、「よし、みんなで夢を語り合おう!」ってみんなに言ったんですが、そういう空気じゃありませんでした。

そして、ある卒業生さんが言いました。

「先生もう僕ら大人ですよ。夢を語る歳じゃないですよ」

と。僕にとってこの言葉は衝撃的でした。昔は、笑顔で夢を語っていた「かつての教え子」が夢をなくしている。

「僕ら大人が夢を語っていないから、子供達が夢を語らないんだ」と思いました。

それで僕は、以前友人と一緒に見に行ったことがあるドリームプランプレゼンテーション(以下:ドリプラ)に出ようと決意し、ドリプラ2009大阪に出ることにしました。
実際、ドリプラに出ようと思ったところで、角君との夢は封印していましたから、何を語っていいのかがわからなかったんですよね。
ドリプラには、「支援会」という、プレゼンテーションを作る為にみんなで支援をして作っていく会があるんですが、その会でも何を語っていいかわかりませんでした。
そんな時、僕の親友の大橋正伸君がコーチングをしてくれて、僕の中のものを全て引き出してくれて、「学校を創る」という夢が復活したんです。塾を創業した時、家庭教師先の教え子がコーチングをしてくれたのと、全く同じシチュエーションです。夢を実現するには、夢を聴いてくれる人が欠かせないということですね。

そしてその夢は「日本夢大学を創る」という夢になりました。

大阪ドリプラの時は「日本夢大学構想」というタイトルで発表し、共感大賞(ドリプラの中では一番の賞)を頂きました。
その後、東京で開催されたドリプラ(現、ドリプラ世界大会)にも出場し、発表しました。
有難いことに、そこでも会場の皆さんの投票で共感大賞に選んで頂きました。

 
   

日本夢大学

 
   

『日本夢大学』は、ただ学ぶだけではなく、夢を見つけ、そして夢を実現していく大学です。 この夢は、特定の誰かの為だけの夢ではありません。
もちろん角君と約束した学校でもあり、そして、卒業生さんたちが夢を見つけていく大学でもありますが、「今まで多くの方々からいただいた恩に報いたい、という感謝の念と、自分の人生への挑戦」という、「自分の中に理由」を見つけることができた夢です。

ここまで育んでくれた両親、祖父母たち、小学校の頃に出会った塾の先生、友人、創業の頃、塾の夢を応援してくれた教え子さんたち、今の教え子たち、ご父兄の方々、勉強会の仲間たち…きりがないほど、僕は応援をいただきました。みんなが応援してくれた僕だからこそ、僕ができる最大の貢献を、僕らしく実現していきます。

「自分の存在がこの世の中にある限り」僕はみんなに恩返しをしていきたい。今、無事に生きている、この社会に、僕は恩返しをしていきたいと思っています。
僕は必ず、「日本夢大学」を創り、日本を、いや、世界中を笑顔でいっぱいにします!

 
   

若者へのメッセージ 「人生二度なし」

 
   

自由に生きましょう、お互いに。この人生は、二度と、繰り返さないのですからね。
それはわがままに生きろ、自分らしければそれでいい、ということじゃなく、全く逆で、何の苦労もしていないのに、一度の人生をいただいたのだから、誰かへ恩返しをする、社会に貢献する、そんな想いが人生にあるのならば、その生き方や生き様は、自由でいいと思っています。 もちろん、上手く生きる必要はなく、不器用でも一度きりの人生で出会った人との出会いや先縁を大事にしたり、遭遇した事件や機会に意味を見出したりしながら生きていくこと。これこそ、一度の人生を豊かにする心構えだと、今の僕は信じています。
このように、人生は大切なもので、その人生に関わるのが、教育という仕事です。今は社員さんの教育に使命持って取り組んでいます。僕はこの仕事に、夢と誇りを持って働いています。今回、インタビューの機会をいただいた三箇くんに感謝すると共に、想いや夢、教育を語りたい、という方がいましたら、三箇くんとの縁ですから、どうぞ気軽に連絡くださいね。

 
       
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