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新聞配達 小学校4年生

 
   

僕、小学校4年から高校1年まで、毎朝新聞配達していたんですよね。 それは、お小遣いが少なかったからで、みんなのお小遣いより1/4ぐらいの金額しか貰えなかったんです。
みんながおやつを買っていても、我慢しないといけなかったから、「それだったら自分の力でお金を稼ごう!」と思って、近くの新聞屋のおっちゃんに「おっちゃん、僕、新聞配達したいんや!」ということを伝えて、すんなり新聞配達がスタートしました。
小学校の時にできるアルバイトって新聞配達ぐらいしかなかったからね。 みんなが、¥2,000とか¥3,000とかの小遣いを貰っているときに、僕は新聞配達で月に¥20,000もらっていました(笑) でも、毎朝5時半に起きて新聞配達をしていたから、「明日キャンプ行こう!」とか、「泊まりでどっかいこう!」と友達同士でなったとしても、「明日新聞配達あるで行けんわ」と我慢する事も多かったです。
でも、“仕事”ということを知り、体感することができたし、その時に、責任感とか、仕事の大切さとか、お金を稼ぐって事がどれだけ大変かってことも知ることができました。
この時の新聞配達の経験は本当に今に繋がっていると思います。 新聞配達をやっていてよかったなぁって心から思います。

 
   

いつかは社長になりたい!

 
   

高校に入ったら普通のアルバイトが出来る歳になったので、中華料理屋さんとかガソリンスタンドでアルバイトをしていましたね。 この時ぐらいから、「いつかは社長になりたいなぁ」と思い始めました。 何がきっかけかはわかりませんけどね(笑)
小さい頃から新聞配達をやっていたから“独立心”みたいなものはあったんですよね。
でも明確なビジョンがあってそういうことを想っていたんじゃなくて、うっすらぼやーっと思っていただけで、高校卒業後は建設会社に就職。 普通に仕事に行って、帰りはパチンコ。
休みは彼女と遊ぶ。みたいな生活の繰り返しでした。 そんな生活をする中で、自分の中で「俺はもっとできるんじゃないか?」と問いかけるようになったんです。
「今のままじゃ何も成し遂げられない」と思い、会社を辞めることを決意しました。

 
       
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