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普通が一番

 
   

凄く印象に残っているのは親父とお袋には小さい頃からずーっと「普通が一番だよ。みんなと一緒が一番なんだよ。」って言われてました。 幼いなりに普通ってなんだろ?って考えてたけどわからないまんま育ったね。 昔から人見知りで、友達が欲しくて、「明るくなろう!」と思って結構みんなとのコミュニケーションは頑張ってた。
中学校入ってからは、好奇心が旺盛になって楽しそうな事ばっかりして遊ぶようになりました。 消化器を休みの時間に噴射したり、仲のいい友達を休みの時間に鉄棒にくくりつけてそのまま放っておいて授業にいくとかね(笑) 「明日から毎日登校時間は朝の6時ね。」とか言って、授業始まるまでサッカーをしたり(笑) 高校生になると、結構真面目になっちゃって、野球ばっかりやってた。
実は僕、周りの人にめっちゃ流されやすいんです。 最初はサッカーをしていて、転校したら今度はその学校は野球が活気があって、そんな感じで野球をしてたから、野球が好きで好きで仕方なかったということではなかったです。 もちろんヒーローになれるから、甲子園にはいきたいと思っていたけど。 体格もよかったし、運動神経もそんなにわるくなかったからね。

 
   

やりたいことは何?

 
   

それで結局甲子園は行けなくて、高校の卒業で進路を考える時期になりました。 でも、よく考えると「俺やりたいこと何もないなぁ」と思って。 「夢は何?」って聞かれてもみんな職業で考えてて、自分も職業で考えると、やりたいことが何もなかった。
一応、大学から野球のお誘いもあったけど、私学の学校に行けるようなお金もなかったし、かといって国立の大学にいく頭もなかった。
それで単純に「とりあえず就職だ」と思って、「場慣れの為に市役所を受けてみよう!」って思って、それを学校の先生や両親に言うと最高によろこぶ訳なんだよね。 だって今迄さんざん「普通が一番!」って言われていたから(笑) それで勉強もなんもしてないのに、合格してしまってね(笑) その時はまだ、社会に出ていなかったし、社会に出ている大人達がおすすめする職場っていうのは、「さぞすばらしい職場なんだろうなぁ」と思っていました。 でも行ってみないとわからないなぁと思ったから、行く事にした。
そして行ってみて「やっぱこの職場は凄いなぁ」と思ったら続けよう、もし「あぁ違うなぁ」と思ったら辞めようと思って3年間で見て決断しようと思っていました。

 
   

社会へ

 
   

市役所の仕事は楽しかったし、やりがいも感じていたけど…けど、ぶっちゃけこのままこの場所にいたら人間腐ってしまうなぁと思ってしまったんだよね。
市役所って20代も30代も40代も、全年代がいて、それで「30歳になったらあの人みたいになるなぁ」「40歳になったらあの人かぁ」と市役所での自分の姿が鮮明にイメージができて、イメージが出来たときにあんな50代になりたいか?って言われたら「絶対なりたくない!!!!!」って思ってしまって、でも、「じゃあここでそういう風にはならないようにしよう!」とは思わなかった。
「環境を変えないとあんな50代になってしまう!」って思いました。自分が流されやすい人間だって分かってたから。当時はまだまだ若かったしね。 それで結局3年で辞めました。しかし、それにはもう一つの理由がありました。

 
       
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